森鸥外
森 鸥外 | |
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出生 | 日本岛根县津和野町 | 1862年2月17日
逝世 | 1922年7月8日 日本 | (60岁)
国籍 | 日本 |
职业 | 小说家、评论家、翻译家、医学家 |
日语写法 | |
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日语原文 | 森鷗外 |
假名 | もりおうがい |
平文式罗马字 | Mori Ōgai |
森鸥外(1862年2月17日—1922年7月9日),石见国津和野(今岛根县津和野町)出生及出身,本名森林太郎,号鸥外,又别号观潮楼主人、鸥外渔史。日本明治至大正年间小说家、评论家、翻译家、医学家、军医(官至陆军省医务局长,陆军军医总监军衔,即中将军衔)、官僚。森鸥外是日本第二次世界大战以前与夏目漱石齐名的文豪。
生平
森鸥外于1882年自东京帝国大学医学部毕业,被任命为陆军军医副中尉,并于东京陆军医院服务。
1884年,森鸥外赴德国留学,期间受到叔本华与哈特曼的影响,归国后,将留学期间与一位德国女子之间的悲恋故事,写成了处女作小说《舞姬》,《舞姬》中女主角艾莉丝于森鸥外归国后,曾迢迢追至日本,但森鸥外避不见面,最后受森家一族的劝导,才伤心地回国。
主要作品
小说
- 舞姬(1890年1月、“国民之友”)
- 詩片的日記(1890年8月、“国民之友”)
- 文づかひ(1891年1月、吉冈书店)
- 半日(1909年3月、“スバル”)
- 魔睡(1909年6月、“スバル”)
- Vita Sexualis(1909年7月、“スバル”)
- 鶏(1909年8月、“スバル”)
- 金货(1909年9月、“スバル”)
- 杯(1910年1月、“中央公论”)
- 青年(1910年3月-11年8月、“スバル”)
- 普请中(1910年6月、“三田文学”)
- 花子(1910年7月、“三田文学”)
- 玩耍(あそび)(1910年8月、“三田文学”)
- 食堂(1910年12月、“三田文学”)
- 蛇(1911年1月、“中央公论”)
- 妄想(1911年4月、“三田文学”)
- 雁(1911年9月-1913年5月、“スバル”)
- 灰烬(1911年10月-12月、“スバル”)
- 百物语(1911年10月、“中央公论”)
- 仿佛...(かのように)(1912年1月、“中央公论”)
- 興津弥五右衛門の遺書(1912年10月、“中央公论”)
- 阿部一族(1913年1月、“中央公论”)
- 大盐平八郎(1914年1月、“中央公论”)
- 堺事件(1914年2月、“新小说”)
- 安井夫人(1914年4月、“太阳”)
- 山椒大夫(1915年1月、“中央公论”)
- 爷爷奶奶(1915年9月、“新小说”)
- 最後的一句 (“中央公论”、1915年10月)
- 高濑舟(1916年1月、“中央公论”)
- 寒山拾得(1916年1月、“新小说”)
戏曲
- 生田川
翻译
- 佩德罗·卡尔德隆·德·拉·巴尔卡《调高矣津弦一曲》(1889年)※与三木竹二合译
- 《于母影》(1889年、新声社訳、“国民之友”夏期付录)
- 汉斯·克里斯蒂安·安徒生《即兴诗人》(1892年11月-「しからみ草紙」、のち「めさまし草」で1901年2月完)
- 歌德《浮士德》(第一部:1913年1月、第二部:3月、冨山房)
- 奥斯卡·王尔德《莎乐美》
史传
- 涩江抽斋(1916年1月-5月、“东京日日新闻”“大阪每日新闻”)
医学贡献
森鸥外坚信脚气病源细菌说,大肆抨击食物说,拒陆军采纳米麦混食,斥责海军的洋食实验为毫无科学根据的鲁莽举动,甚至严厉指控主导海军伙食改革的高木兼宽。
不少陆军军医目睹海军实施伙食改良后,成功抑制脚气病,他们态度略有松动,但森鸥外坚持己见,毫不妥协。甲午战后,日本并吞台湾之初,他监调任台湾总督府陆军局军医部长,严禁陆军部队擅自提供米麦混食。结果,他驻台三个月内,将近两万五千名士兵中,有百分之九十罹患脚气病,二千余人病死。据史家近几年来考证,森鸥外当时之所以匆匆离开台湾,除了束手无策外,更是意图逃避责任,还在公私文件上故意遗漏或窜改纪录,强要抹消该段污史劣迹。
继任台湾总督府陆军局军医部长的土岐赖德,眼见事态急迫申请准许米麦混合的伙食。返回东京担任陆军医校校长的森鸥外,作梗到底,游说陆军军医行政高层,祭出一纸行文措词异常古怪的训令:“关于麦饭混食,可以实验,不准施行。”收拾惨局的土岐赖德,愤骂森鸥外是“嫉妒他人伟勋、执著自家陋见的龌龊小人”,“囿于私见、贻误国家大计的区区贱大夫”[1]。
相关条目
- 北白川宫能久亲王:森鸥外时任陆军军医监,因乙未战争,陪同到台湾
- 石黒忠悳
- 小山内薫
- 北原白秋
- 征露丸:森鸥外坚持脚气病源细菌说的产物
- 高木兼寛
- 田村怡与造:陆军军人。从德国留学时期开始交友。
- 永井荷风
- 横浜市歌
- 吉田増蔵
- 依田学海
- 森於菟:长男,医者、医学博士、解剖学教授,日本台北帝大(现台湾大学)医学部解剖学讲座教授兼医学部长(医学院院长,系台北帝大最后1任医学部长),终战后任日本帝国女子医学专门学校校长。
- 森富:长孙,森於菟长子,前日本国立东北大学总长(日本语称大学校长为总长)
- 《一八九五乙未》电影
参考文献
- 池内健次『森鴎外と近代日本』ミネルヴァ書房、2001。ISBN 4-623-03559-X
- 猪瀬直樹「元号に賭ける」『天皇の影法師』著作集10、小学館、2002。ISBN 4-09-394240-4
- 金子幸代『鴎外と〈女性〉』大東出版社、1992年。ISBN 4-500-00588-9
- 金子幸代(編・解説)『鴎外女性論集』不二出版、2006。ISBN 4-8350-3497-X
- 小平克『森鴎外「我百首」と「舞姫事件」』同時代社、2006。ISBN 4-88683-577-5
- 小堀杏奴『晩年の父』岩波文庫、1981。ISBN/ASIN 4003109813
- 小堀桂一郎『森鴎外 批評と研究』岩波書店、1998。ISBN 4000252836
- 長島要一『森鴎外 文化の翻訳者』岩波新書、2005。ISBN 4-00-430976-X
- 林尚孝『仮面の人・森鴎外』同時代社、2005。ISBN 488683549X
- 平川祐弘・平岡敏夫・竹盛天雄 編『講座 森鴎外』第1巻、新曜社、1997。ISBN 4-7885-0597-5
- 松本清張『両像・森鴎外』文春文庫、1997。ISBN 4-16-710684-1
- 森まゆみ『鴎外の坂』新潮文庫、2000。ISBN 4101390223
- 吉村昭『白い航跡』上下、講談社、1994。ISBN 4061856790(上) ISBN 4061856804(下)
外部链接
- 森欧外:作家别作品列表(青空文库)
- 作品リスト(近代デジタルライブラリー。往时の印刷状态のまま読める)
- 文京区立本郷図书馆鴎外记念室(文京区)
- 鴎外文库书入本画像データベース(东京大学総合図书馆。鴎外の自笔草稿や书入本を见ることができる)
- 森欧外
- 森欧外经历
- 森欧外遗言
- 森鴎外 名所
- 近代文学研究会:‘舞姫’论、鴎外の医学方面での活动
- 岛根ゆかりの文学者 森 鴎外