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扶桑号战舰

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这是本页的一个历史版本,由武藏留言 | 贡献2007年5月10日 (四) 11:53 艦歷编辑。这可能和当前版本存在着巨大的差异。

扶桑
ふそう
扶桑(近代化改装前)
扶桑(近代化改装前)
三面图(1944年)
三视图(1944年)
概观
舰种战舰
舰级扶桑型(二代)
制造厂吴海军工厂
动工1912年3月11日
下水1914年3月28日
服役1915年11月8日
退役不适用
结局1944年10月25日战没
除籍1945年8月31日
技术数据
标准排水量29,330吨
满载排水量39,154吨
全长205.13米
全宽28.65米
吃水8.7米
动力柯帝士·布朗式涡轮引擎(2基4轴)
宫原式锅炉24座
功率40,000匹
最高速度22.5节
续航距离8,000浬(14节)
乘员1400人
武器装备35.6厘米连装主炮6座12门
15厘米单装副炮16座16门
53厘米水中鱼雷发射管6门
装甲舷侧305毫米
甲板64毫米
舰载机3架
于1928年香港维多利亚港的联合舰队

扶桑 (ふそう)是日本海军战舰扶桑型战舰1号舰。由日本独自设计的第一只超弩级战舰。舰名由来是日本其中一个古异名,使用该舰名的有二代。(初代1879年竣工的装甲海防舰)

概要

世界列强が超弩级戦舰の建舰竞争を缲り広げている中、日本海军の“个舰优越主义”により、连装炮塔6基、12门の主炮を搭载する、当时の最重武装舰なった。しかし设计の练り込みが足りなかった関系で、罐室を第3・第4炮塔に挟まれる格好で配置した结果、后年の近代化改装时に罐の増设が困难となり、速力が24.7ノットと太平洋战争に参加した日本戦舰中最も遅くなってしまった。また全长の5割に达する长大な被弾危険个所(弾薬库等)という防御上の弱点、第3・第4炮塔の不适切な主炮塔配置により一斉射撃时に爆风が舰全体を覆う等の多々の问题を抱えていた。准同型舰の伊势型战舰ではこの点は改善されている。

苏里高海峡海战の际には、この防御上の欠陥が鱼雷4本命中ののち弾薬库に引火大爆発という最悪の形で露呈し、舰が二つに折れ、舰长以下生存者ゼロという悲剧を生んでしまった。

第一次改装后に机関出力がほぼ倍増され、速力も约25ノットに向上したため、伊势日向长门陆奥と戦队を组み、高速な舰队机动が可能となっている。この当时、24ノットで舰队机动を行える戦舰部队をイタリア海军以外の他国は保有していなかった事は特笔すべきであろう。

近代化改装后要目

  • 基准排水量 34,700吨
  • 全长 212.75米
  • 全阔 33.1米
  • 平均吃水 9.7米
  • 最大速力 24.7节
  • 续航力 16节11,800浬
  • 引擎 舰本式蒸气涡轮引擎4基、4轴
  • 锅炉 号舰本式4座、号舰本式2座
  • 引擎出力 75,000马力
  • 武装 主炮35.6厘米(45口径)连装6座12门、副炮15厘米(50口径)单装14座14门、高射炮12.7厘米(40口径)4座8门、25毫米连装机枪8挺、水侦3架

舰历

4月18日~22日 追击东京空袭的美国空母机动部队 
5月29日6月17日 MI作战支援、于基斯卡方面出动、其后回归横须贺港。
11月15日1943年1月15日 候补生实习舰
2月25日 第一舰队解散により连合舰队付属に编入(1月ごろリンガ泊地へ进出)。
5月中旬 长门とともに机动部队・乙部队に临时编入タウタウイへ进出。
5月27日 美军于比亚克(Biak)登陆により浑作戦间接援护队旗舰として出撃、6月15日达沃(Davao)入港。
7月15日 呉工厂に入渠。机铳・电探の増备工事开始、8月14日出渠。9月10日第二舰队第二戦队に编入(西村舰队二番舰)。
10月4日 栗田舰队にリンガ泊地で合流。8日ブルネイ进出。22日15:30出撃。(スル海・スリガオ海峡経由レイテ突入航路)。
10月25日 于苏里高海峡海战,被美国舰队的4枚鱼雷击中引起大爆炸沈没(-180m / 600 fsw)。舰长以下全员未归还。

历代舰长

舣装员长

  1. 佐藤皋藏 大佐(大正3年8月23日就任)

舰长

  1. 佐藤皋藏 大佐(大正4年11月8日就任)
  2. 向井弥一 大佐(大正4年12月13日就任)
  3. 山冈豊一 大佐(大正5年7月8日就任)
  4. 竹内重利 大佐(大正6年12月1日就任)
  5. 生野太郎八 大佐(大正7年12月1日就任)兼任
  6. 岛内桓太 大佐(大正8年4月1日就任)
  7. 大谷幸四郎 大佐(大正8年11月20日就任)
  8. 大石正吉 大佐(大正9年11月20日就任)
  9. 汉那宪和 大佐(大正10年12月1日就任)
  10. 加加良乙比古 大佐(大正11年12月1日就任)
  11. 白石信成 大佐(大正12年12月1日就任)
  12. 米内光政 大佐(大正13年7月18日就任)
  13. 高桥三吉 大佐(大正13年11月10日就任)
  14. 滨野英次郎 大佐(大正14年12月1日就任)
  15. 杉浦正雄 大佐(大正15年11月1日就任)
  16. 市村久雄 大佐(昭和2年8月20日就任)
  17. 池田武义 大佐(昭和3年12月10日就任)
  18. 藏田直大 大佐(昭和4年11月30日就任)
  19. 杉坂悌二郎 大佐(昭和5年12月1日就任)
  20. 町田进一郎 大佐(昭和6年12月1日就任)
  21. 荒木贞亮 大佐(昭和7年12月1日就任)
  22. 岩村清一 大佐(昭和9年11月15日就任)
  23. 草鹿任一 大佐(昭和10年11月15日就任)
  24. 吉田庸光 大佐(昭和11年12月1日就任)
  25. 高崎武雄 大佐(昭和12年1月26日就任)
  26. 阿部弘毅 大佐(昭和12年12月1日就任)
  27. 藤田类太郎 大佐(昭和13年4月25日就任)
  28. 岸福治 大佐(昭和13年11月15日就任)
  29. 佐藤勉 大佐(昭和14年11月15日就任)
  30. 河野千万城 大佐(昭和15年10月15日就任)
  31. 木下三雄 大佐(昭和16年9月15日就任)
  32. 古村启藏 大佐(昭和17年12月5日就任)
  33. 鹤冈信道 大佐(昭和18年6月1日就任)
  34. 阪匡身 大佐(昭和19年2月23日就任) 10月25日战死

其他

  • 在战后的竞走马中,于第4回安田赏的优胜马是以フソウ号(扶桑)为马名,而其来自的扶桑牧场名称来源亦是战舰扶桑。有说是马主有亲属曾担任过扶桑的舰长。

同型舰

关连项目

参考文献

  • 《联合舰队军舰大全》(繁体中文版)原著:片桐大自,陈宝莲编译,出版社:麦田,ISBN 9577085334
  • (日语)日本軍艦史 (世界の艦船 1995★8 增刊 NO.500 海人社)