User:阿酪/大洗磯前神社
外观
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大洗矶前神社 | |
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大洗磯前神社/おおあらいいそさきじんじゃ | |
基本信息 | |
位置 | 茨城县东茨城郡大洗町矶滨町6890 |
宗教 | 神道 |
主祭神 | 大己贵命 |
建立时间 | 齐衡3年(公元856年)12月29日 |
概述
大洗矶前神社位于茨城县东部面向太平洋的海岸山丘上。与位于那珂川对岸,常陆那珂市的酒列矶前神社有着密切的联系,两家神社形成了一份信仰。
它在中世纪被战争摧毁,到近代由身为水户藩主的德川光国与德川纲条主持进行了重建。本社、参拜殿和随身门被指定为茨城县以及大洗町的文化财产。除此之外,建在海岸上的“神矶的鸟居” [1]也因每年元旦的日出而闻名。
祭神
- 主神
- 又称大国主命。据说他为了兴建日本国,降临到了神社境前岸边的岩石上。
- 副神
- 是酒列矶前神社祭神的分身。与大己贵命一同兴建了国家。
由于大己贵命和少彦名命两位神一起出现在《古事记》、《日本书纪》、《风土记》等神话中,因此除了大洗矶前神社,还有其他的一些神社将这两位神明一同祭祀。此外,该社还将大己贵命视作是七福神中的大黑天。
历史
成立
据《日本元德天皇实录》记载,齐衡3年(856年),神明降临在常陆国鹿岛郡的大洗的岸边。
常陸国上言。鹿嶋郡大洗磯前有神新降。初郡民有煮海為塩者。夜半望海。光耀属天。明日有両怪石。見在水次。高各尺許。体於神造。非人間石。塩翁私異之去。後一日。亦有廿餘小石。在向石左右。似若侍坐。彩色非常。或形像沙門。唯無耳目。時神憑人云。我是大奈母知少比古奈命也。昔造此国訖。去徃東海。今為済民。更亦来帰。
ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一尺ほどだった。さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。神霊は人に依って「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。
— 『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条
此后,大己贵命(大奈母知)与少彦名命(少比古奈命)被分别祭祀于大洗和酒列,成为了两社创建的开端。
文化财产
茨城县指定有形文化财产
大洗町指定有形文化财产
- 随身门
当地信息
- 所在地
- 附属设施
- 大洗海洋博物馆
- 交通路线[3]
- 铁路
- 公共汽车
- 汽车
- 附近景点
脚注/来源(日文)
- ^ 大洗、「神磯の鳥居」いわば危険/町、立ち入り禁止検討も/水難相次ぎ2人死亡茨城新聞クロスアイ(2018年2月12日配信)2019年2月6日閲覧。
- ^ 太刀(銘近則)(茨城県教育委員会)。
- ^ 御案内・交通. 大洗磯前神社. [2022-07-19] (ja-JP).
相关书籍(日文)
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、15頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、65頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、68-69頁
- 『神道の本』学研、1992年、213頁
相关项目
- 大洗矶前神社(官方网站)
- 大洗矶前神社(茨城县神社厅网站)
- 大洗矶前药师菩萨明神社(国学院大学21世纪COE项目“神道/神社历史资料集”)